借金できるという信用

僕には借金がない。

広義の意味で捉えて
あえてあげるとしたら、
クレジットカード使用での
毎月の支払いくらいだろうか。
(借金の一種だからクレジットカードは
使用するな!という考えもあるからね)

まあ、銀行や誰かに
お金を借りているわけではなくて、
毎月自分の口座から
勝手に使用分だけ引き落とされていくので、
さほど気にしていない。

でも、中には借金を抱えて
後ろめたい気持ちを持ちながら、
もっと言えば、恥ずかしさや
情けなさを抱えながら生きている人や企業も
たくさんあるだろう。

ここ日本のほとんどにおいては、

借金なんてみっともないことだ!

と非難する人ももちろんいるだろうし、
世間の目も空気も冷ややかであることは
おおよその人から同意を得る。

決して誇らしい事ではないことは
確からしい。

だが、しかし。

借金をできるというのは、
それだけの信用があること、
信用のある人間(組織)である

という話を聞いた。

日本で一番借金の多い街は
小金井市らしいのだが、
(過去の話で現在は違うかもしれないので
自身で調べてみてほしい)

「借金したくてもできない貧しい街もある、
小金井は借金のできる豊かな貧しい街である」

みたいな言葉を聞いて
これはなるほどなあと
新しい視点と気づきをもらった。

この文脈で、、、

友人の起業家の一人が
親族に一戸建ての家を
建てられるくらいのお金を貸していると
カミングアウトしてくれた話を思い出した。

「医大に行かせてあげたと思っている」

という言葉と発想には、
なかなかの器の大きさを感じた。

お金を貸している起業家の友人だけでなく、
借りている側の人もわりと親しく、
朝まで楽しく飲み明かしたりもするのだが、
彼らにはいわゆる借金者特有の暗さを
感じない。

むしろ人生を明るく楽しく
謳歌しているようにもみえる。

もしかしたら僕ら外部の人間では気づけない
苦悩が本人にはあるのかもしれないが、
親族から借りている(もらっている?)
お金でここまで楽しく振り切れるのか、
と感心するほどの生き方だ。

そして、ふと自分に問うてみる。

一戸建ての家を建てられるくらいのお金を、
理由なしに無条件で、
自分は借りられる存在だろうかと。

現状としては、、、

提供するものも
特別な理由もなしに、
数千万円もポンと一瞬で
手に入らないだろうな、と。

何かを提供して、
もしくはプレゼンなどを通して、
対価や融資を得るということは、
可能だろう。

それこそビジネスをして
一戸建てを建てられるくらいの
キャッシュを得ることは実現できるだろうし、
ビジネスでなくとも
工夫をすれば集めることは可能だと思う。

何かをすれば実現できるが、
何かをしなくても実現できるのか
というと、、、うーん、となってしまう。

でも、そうは言っても
今はそういう時代だよね。

原始の頃から続いた等価交換の原則は、
これからも続くだろうが、
所有から所属へと時代のスイッチが変わった今、
僕たちに求められるのは、、、

何かをするから受け取ることができるのではなくて
何もしなくても受け取ることができるという存在、関係性だろう。

それを信頼と呼ぶのかもしれないが、
これは無条件の愛にも似ていると思う。

何かしてあげたら、してあげるというのは
交換条件だということ。

お菓子を買ってくれるなら掃除するよ
なんて子どもが取引を持ち出してきたら
悲しい気持ちになるよね。

取引をするというのは、
取引が成立しなかったら
応じないという条件付きの繋がりだからだ。

条件が揃わなかったら破綻だよ
というスタンスはわかりやすいデジタルな関係ではあるが、
情緒に欠けると僕は感じてしまう。

目に見えるカタチで繋がっているだけであって、
目に見えない信頼や愛情では繋がってませんよ
という回答だから。

ここから、もう一段、深めてみる。

ブーバーの思想(我ソレ-我汝)を引用すると、

このデジタルな関係性は相手が悪いのではなくて、
こちら側が同じような関係を求め、構築してきた結果だ

ということ。

つまり、、、

条件を持ち出す相手に
悲しくなったり腹を立てたりする前に、
自分も目の前の人や物に対して
同じように見たり、付き合ったりしてないか、
というサインなのだ。

使える・使えないで判断したり、
役立つ・役立たないでみていたり、
損得の関係を築いていたり。

目の前の事象は、
相手へ求める態度、望んだ関係性、
自分の積み重ねてきた選択の結果なのだ。

なにもしなくても、してあげる、
もらえなくても提供する、
分け与える。

テイクする前にギブする。

リターンがなくてもギブする。

マイナスになってもギブする。

無条件に、そして見返りを求めず
提供し続けた先に、
契約ではない関係性が生まれるのだろう。

そこに信頼とか愛情とか目に見えない
カタチないものがうっすらと生まれてくるだろうけど、
まずはそういう存在になれ!ということなのかな、と。

愛情や信頼を求める前に、
分け与えている存在なのかどうか。

よりはっきりとする時代になってきたね。

借金をできるという信用があるのは、
自分の選択してきた在り方の結果なのだ。

では、最後にクマのプーさんからこんなセリフを、、、

何もしないって最高のなにかに繋がるんだ

今日は今日だよ

昨日まだ明日だったとき、
僕には手が届かないと思っていたけど

幼少期より私が影響を受けた人たちから学んだことは「成長」と「挑戦」です。自己研鑽しチャレンジし続ける。その姿を通じて次世代を担う若者達、 同世代のリーダー達と役割を発見し、希望をもたらすことが自分の使命だと思っています。

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