女にはマネーを、男にはガレージを

男とは?女とは?

といった話から、男性性・女性性の観点へ
議論を展開することがある。

男は正しい、納得いったなどを気にするが
女は既存ルールを自然と受け入れる。

ルールを安定させるための女性性、
壊すための男性性であり、
どちらも必要なもの。

個人でも法人でも実際に男性性の強い女性もいれば、
女性性の強い男性もいる。

一概に男だから〜女だから〜といった話ではない。

どういったバランスで振舞っているかということだ。

最近は女性性の時代なんて色んなところで言われているが、
ゼロイチのデジタルな話でなく、
どちらの要素が強く出ているのかといったこと。

男性性の時代が終わり、
女性性時代の到来といわれるが
グラデーションで移り変わっているので、
前の時代を否定しているわけではない。

保存し、次に進んでいる。

踏まえて乗り越えられて
次の時代が来ているのだ。

僕らのちょっと先の未来までは
どうやら女性性が強く反映された
時代を迎えていくことになるだろうが、
いったい女性性の時代とはどういったことだろうか。

シンプルにいってしまえば、

小さなコミュニティを作りその中で生きていく

時代だといえるだろう。

移動力のない時代、僕たちは生まれた時から
社会が決まっていた。

レールが引かれて、チョイスできる道も限られていて、
選択できる未来も数えるほど。

それがいろんな要因で移動力が高まり、
選択肢が増え、自分だけの小さな村を作れるようになった。

そう、いやなら今の村を出ればいい。

昔は絶対だった村の掟を受け入れる必要なく、
自分にあった村を探せる、
もしくは村を作って育めるような時代になった。

コミュニティごとに
ルールや生活様式が変わってくるのが
当たり前の時代。

よその村からみたら、何それ?って思うルールもあるけど、
守らないと村八分にされるくらい
コミュニティはあちこちに出来がった。

生活様式が違う、ルールが違う前提で
戦略を練らなく行けなくなったのだ。

バブル化し、レイヤー化する時代が誕生している。

個人の視点で落とし込んでもわかりやすいだろう。

自分の理想が反映された空間が欲しい男に対し、
安心した居場所を求める女性。

奥さんには奥さん側の必要なものを与え、男にはガレージを
なんていう友人のセリフはなかなか説得力があった。

自分の理想が反映された空間がちょっとでもあると没頭できる男は、
所ジョージやヒロミに憧れるのだという例えだった。

フロムのいうように、
自由を手にしたら首輪をつけたがる僕たち人間は
いったい何に縛られているのだろうか。

フロムはこんなことを言っている、、、

愛は「自由の子」なのであり
決して「支配の子」ではありません。

幼少期より私が影響を受けた人たちから学んだことは「成長」と「挑戦」です。自己研鑽しチャレンジし続ける。その姿を通じて次世代を担う若者達、 同世代のリーダー達と役割を発見し、希望をもたらすことが自分の使命だと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA