コミュニティ作りの第一歩

コミュニティの時代と言われるようになって
久しいが「コミュニティ」と一言でいっても
シニフィエが異なることが多いから厄介だ。

ご近所さんの集まり、井戸端会議も
コミュニティなんて呼ばれるし、
なんとなく気持ちのいいネットの繋がりも
コミュニティと言われているし、
互助会のような利害の一致した共同体も
コミュニティだそうで。

もちろんどれもコミュニティなのだろうけど、
使い方や文脈によって当然指し示す意味が変わってくる。

だから、自分がどう定義して使っているか、
どういう意図なのか、世界観を提示していくことが
僕らみたいなリーダーシップを発揮する立場にある人間には重要だ。

あなたはどう考える?

僕の中でのコミュニティは先に挙げた定義だと
どれも不十分。

コミュニティを定義するとしたら、
同じ理想や価値基準、世界観を共有した人たちの集まりのこと。

同じ理想を共有し、目指しているから
目的も一緒だ。

価値基準も共有しているから、
そんなに言葉を交わさなくても
そうそうそれだよね、それ!
みたいな感じで動きやすい。

世界観を共有しているから、
喜びも苦しみも一緒だし、
シンクロニシティも起こりやすい。

共通言語を持つだけでなく、
感性も合うから良い距離感で
シナジーを起こせる。

そんなイメージだ。

大事なのはここから。

こういったコミュニティの構築だけど、
まず大前提の土台として、
熱量が必要不可欠。

初めに熱量ありき。。

これが好き〜あれがやりたい〜
と言った漠然としたものではなく、
夜も眠れないほど熱中してしまうもの。

刹那的でなく、永続的なものでやめてしまったら
なんだか居心地悪くソワソワしてしまうもの。

気になって気になって仕方ない、
周りからみたら、
なんでそんな大変なことしてるの!?
と普通には理解されないようなパッション。

時間もやる事も忘れて没頭してしまうものにこそ、
人を惹きつける(遠ざける)熱量が発せられると考えている。

この熱量が土台となって、
「感情の同期」というものがおこって
コミュニティ作りがスタートするのだ。

「感情の同期」というのは最近学んだ概念で、
なかなか面白い視点。

共感に近いものだけど、
厳密にいうと違う。

人に対してだけでなく、
椅子やギターや野球やカブトムシ、将棋、
ハンバーグなんかとも感情の同期は起こる。

なぜか、その人(物)の感情の動きにトレースしてしまうというもの。

ペットが怪我して痛そうに苦しんでいたら、
こちらも同じように苦しくなったり、
全く興味のないアニメでも子どもが楽しそうに観ていたら
なぜかこっちも楽しくなったり、
パートナーがイライラしていたら、
こちらもイライラしてしまったり。

このように感情の同期はポジティブにだけでなく、
ネガティブにも起こる。

損得で付き合うのではなく、
感情の同期が起こるというのは
大切な人候補だから、
コミュニティメンバーとして
迎え入れる審査に通ったようなものだと
捉えていい。

従来のコミュニティ作りは説得、、、
無理くりにメンバーにする風潮だったけど、
(それこそ心理学のテクニックを駆使して、とか)
これからの時代は自分のメンバー候補を探す感じ。

カルト集団が僕の考えるコミュニティではないからね。

有象無象がいてコミュニティにしていくのではなく、、、
コミュニティメンバーを探し、
一緒にシナジーを育んで成長していくイメージ。

だからこそ、全員に信頼されて
たくさんの人をメンバーにしようという奴隷的な発送ではなくて、
同じステージにあるパートナーを見つけて
より強い化学変化を起こしていくような集まりこそ
理想なコミュニティだ。

そもそも誰と(どんなモノと)感情が同期するのか
そこが大きな第一歩となる。

好きとか嫌いとかそう言った次元の話ではないのだよ。

「スタートアップが狙うべき理想の市場は、少数の特定ユーザーが集中していながら、ライバルがほとんどあるいはまったくいない市場だ」

ピーターティール

こちらのタイムラインにも感情の同期に関しての学びを記述。

幼少期より私が影響を受けた人たちから学んだことは「成長」と「挑戦」です。自己研鑽しチャレンジし続ける。その姿を通じて次世代を担う若者達、 同世代のリーダー達と役割を発見し、希望をもたらすことが自分の使命だと思っています。

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