カフェモーツァルトにて
「残っている」というのは
何かしらの理由がある。
歌い継がれる音楽、
聳え立つ建造物、
アンティーク家具や雑貨など…
時代の変化とともに
消えていくものがある中で
残っているものが存在する。
淘汰の対象から免れたものもあれば、
競争に勝っち残ったものあるだろう。
残っている理由が
解明できなかったとしても、
時代や国境を越えて残っている
ということには
必ず意味があるはずだ。
言語や文化の壁を超えて
多くの人々を魅了するもの。
そこに僕はロマンを感じ、
興味を持つ。
何より心落ち着くし、
フィットしている感覚がある。
流行り物は流行り物で
大切なものだとも思うが、
どうしてもクラシックなものに
手を伸ばしがちなのは
歳を重ねたせいだけ
ではないだろう。
あなたはどうだろうか。
さて、いまこれを書いているのは
ウィーン国立オペラ座のすぐ裏手にある
カフェモーツァルト。
モーツァルトの亡くなった1794年には
すでにこの地にあったカフェで、
時代を超えて残っているもののひとつだろう。
時代があるということは
それだけでたくさんのストーリーが
あるわけだが、
場所として様々な交錯があったことに
想いを馳せながらこれを書いている。
ウィーン国立歌劇場の裏手にあるということもあって、
指揮者や歌手、音楽家が好んで訪れるという。
有名な文豪もここに通って
名作を執筆した逸話もあるのだとか。
今なお残っていて、
歴史があるということだけで
価値があることだと思うが、
それ以上に、この場所から
時代や国境を越えて愛される作品が
生まれたということに
さらに意味があるだろう。
データとしてのインフォメーションだけでは
手に入らないものが
こういった場所にはある。
思いを馳せて対話をし、
逡巡を繰り返す。
通時的にカフェを観て、
共時的に文化を考える。
ウィーンの夜風に浄化させられ、
そしてシェイクされた。
こうして僕の中から生まれてくるものは
またいつもとは違ったものであろう。
その匂いや香りや味や手触りや
温度やザラザラした感覚なども
画面を通じてでも
あなたと共有できたらと思う。
インフォメーション以上の何かを
感じとってくれたら、
また一歩、僕とあなたの世界観が
触れ合い交錯したということだ。
では、最後にモーツアルトの
LIBERATORらしい言葉を、、、
他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ。