あふれ出てこぼれ落ちてしまうほどに

「どのタイミングで独立したらいいですか?」

と相談を持ちかけられることがある。

やめておきなよ、
独立ってするもんじゃなくて
勝手になってしまうものだから、、、

なんて答えるのが僕の常套句であり、
本音ではあるのだけど、
これだとややぶっきら棒で
身も蓋もない。

そこで、改めてこの場で
僕の考えとスタンスを
少し掘り下げて、明確にしておこう。

独立をする、、、
と言うことは
それぞれ解釈と定義があるが、
ここではひとまず
何かに頼ることなく、
依存することなく
やっていくと定義しておく。

究極的な事を言ってしまえば、
誰にも頼らずに、
迷惑をかけずに生きていくことって
原理的に不可能だとは思うけど、
大切なのはメンタリティだろう。

顔色を伺うことなく、
大きなところに所属して安心することなく、
現状に胡座をかくことなく、、、

いつでも自分に正直に
可能性を閉じずにチャレンジし続けること。

そういった脱・一般人が独立していくと思う。
(出来るというより、なってしまうというか)

だから、起業するとか会社を興すとか
表層的な事ではなく
もっと深い部分に根付いたものである。

そう、在り方・生き方だと思う。

このサイトの文脈で言えば
LIBERATORと言えるだろうが
LIBERATORは精神的なものなので、
サラリーマンでもあり得るだろうし、
逆に会社の社長であっても
囚われている人もたくさんいる。

独立するというより、
独立してしまう生き方なのだから。

次に考察したいのは
なぜ独立するような生き方を
選択をするのか、という事だ。

不自由な生き方からの脱却、
不満やストレスを解消するために、
何よりおもしろそうだから、
ワクワクするからって思う人もいるだろうが
もちろんそれもあると思う。

快不快に基づいて
志向する。

より良い人生を望む場合、
自然なことと思う。

ここまでだと独立したい人、
望む人が独立する生き方を
選択すると思われがちだけど、
僕は望むだけでは不十分だと思っている。

大切な基準としては、、、

あふれ出てこぼれ落ちてしまう

と僕はしている。

時間的にも精神的にも経済的にも
ゆとりがあって溢れ出て零れ落ちる。

わかりやすく言えば、
どんなに人に優しくしたくても、
提供の精神で接しようと思っても、
何か施しをしようと思っても、、、

自分が満たされていなかったら
分け与えることができない

と僕は考えている。

利己性・利他性の話になるけど、
自分が満たされてないと
どんなに相手に尽くしたくても
難しいという話だね。

自分がお腹空いていても
相手に分け与えることはできるけど、
なかなか続かないだろうから。

だからこそ、
相手のためにも
周りのためにも
自分を満たしていないといけない。

幸せは義務である

と言ったこともあるけど、
自分の状態がいいこと、
最高のパフォーマンスを発揮させることが
何より周りのため、社会のためになるということだね。

起業も独立もそう。

在り方、生き方として
選択し望むのであれば、
自分が十分に満たされていないと。

周りから望まれるほどの求心力を持ち、
勝手になってしまうもの。

溢れ出て零れ落ちてしまうもの。

慈悲深く愛情を注ぎたいけども、
自分が愛情不足で
逆に奪ってしまっている人も
たくさんいる。

やめておきなよ、
独立ってするもんじゃなくて
勝手になってしまうものだから
っていうのは、まさに、

まずは自分を愛して満たしてあげたら?

といったメッセージの裏返しなのだ。

最後に岡本敏子さんのこんな言葉を、、、

誰も認めてくれなくったっていいの。

「わたしっていいなぁ!」って、
ときどきにっこりして、
自分を抱きしめるの。

そうすれば、恋は豊かよ。

そういう自分を、
ある人のために、無条件に、
惜しげもなく投げ出すのよ。

幼少期より私が影響を受けた人たちから学んだことは「成長」と「挑戦」です。自己研鑽しチャレンジし続ける。その姿を通じて次世代を担う若者達、 同世代のリーダー達と役割を発見し、希望をもたらすことが自分の使命だと思っています。

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