僕たちは主人公でもあり脇役でもある

誰かの相談を受けるとき、
アドバイスをするとき、
僕が一番心がけているのは、、、

僕はあくまで脇役

ということだ。

僕がちょっぴりシャイな性格
っていうわけではなくて、
原理原則として
僕らは主役であり脇役でもあるから。

自分の物語を紡いでいる主人公であることは
変わりはない。

大切なのは、、、

自分の物語を紡いでいる主人公でもあり、
誰かの物語に登場させてもらう脇役でもある

ということ。

この感覚ってとても大事。

どうしても世界は自分を中心に回っていると
思いがちで、そうなると自分の正義を振りかざして
相手をねじ伏せようとしてしまうから。

“正しさ”を主張したってそれは自分にとっての正しさであって
目の前の人に当てはまるとは限らない。

選択の余地なく、当たり前だろ
という風に態度は自分をも蝕んでいく。

手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」に
描かれているように
イデオロギーの押し付けあいが
純粋な友情をも壊してしまうことだってある。

国家、宗教、家族、民族や人種。

いろんな垣根はあるけど
俯瞰して世界を見渡せば、
無数の物語が行き交っている。

そのひとつひとつに息づいている
生命に想いを馳せること。

自分は自分の人生の主役でありながら、
同時に誰かの脇役でもあること。

みんな自分の人生という舞台の主役を
はっているのだ。

それを誰も汚すことはできない。

誰も邪魔することは許されない。

人が人を“自分の正義”で裁く悲しさを
僕らは知っている。

歴史が教えてくれる。

自分の正義を手放して
解放されるとき、
僕らはまた違った風景を
眺めることができるようになるだろう。

こんなやつと話したってムダだ!
あいつは絶対に間違っている!
オレの考えが全てだ!
と傲慢になる不自由さは
本人も気づいていないことも
あるからやっかいだ。

周りのせいにしても
結局は自分を縛っているのは
自分自身だということに
気づくときが来るだろう。

「島田さんもよくそこまで付き合うよね。
私ならもっと早く手を引いているよ」

なんて言われることもある。

わかってはいても、
どこかに期待をもち、
希望を持っているのだろう。

世界中が反対しても、
最後のひとりとして
待っていたい。

自分自身で自分を解放し、
道を創っていくことを。

あきらめが悪いんだろうね。

最後に「アドルフに告ぐ」の主人公
峠さんのこんなセリフを、、、

「誰も彼も 
日本中の人間が戦争で大事なものを失った・・・
それでもなにかを期待して
せい一杯生きてる 
人間てのはすばらしい」

幼少期より私が影響を受けた人たちから学んだことは「成長」と「挑戦」です。自己研鑽しチャレンジし続ける。その姿を通じて次世代を担う若者達、 同世代のリーダー達と役割を発見し、希望をもたらすことが自分の使命だと思っています。

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